地域共同体の核としての寺

  青砥やくじん延命寺中興22世住職
              小林 隆猛


寺は墓地の供給者か?
 昨年(2000年)夏に寺と地続きになる都有地400坪余を入
札で取得した。
 「この土地は何にするのですか、墓地ですか」と聞かれることが
かなり多い。
 これこそ現代の寺の一端を明確にあらわしていると言えないか。
世間には、寺は墓地の供給者という先入観があるようだ。都会では
墓地が不足しているといわれて久しい。その一方では、毎日のよう
にどこかしらの墓地分譲の折込チラシが舞い込み、石材業者が私ど
もで売らせていただく墓地はありませんかと勧誘に来る。断るのも
一仕事である。
 墓地を購入することが、心の寄りどころとなり、「安心」を得る
場所というのであれば、それは、寺は社会に対してたいへんな貢献
をしていることになる。しかし誰もそうは見ない。最近のチラシで
は、限定区画のみ永代使用料大幅値引きというコピーまで飛び出し、
墓石の値引きが本当じゃないのと首をかしげてしまった。
 さらに墓地にお骨があるわけではないから、寺との結び付きは希
薄となり、寺墓地でありながら、霊園墓地の様相をとることになる。
それぞれの寺の事情もあるだろうが、いっときの永代使用料が入れ
ばよいというのでは、情けない。まさに仏つくって魂入れずである。


時代に即した布教教化とは
 私は、地域との関わり合いのなかで、民生児童委員協議会地区会
長をはじめとして、地元町会、青少年育成地区委員会、まちづくり
懇談会等の要職を任され、また趣味の俳句会との関わりで、老若男
女を問わずにいろいろな方と接触する数多くの機会に恵まれている。
 自分の僧侶という立場から、いわゆる抹香くさい話は避けては通
れなくなった。お布施の額が不明瞭とか、多額の寄付を取りたがる
とか、金にまつわること。批判の多くはここに集中している。
 その一方で、戦後学校教育が置き去りにした宗教による情操教育
を寺が受け持つことはできないかという提案。あまりにお粗末な仏
事の知識。それこそ数珠の持ち方、焼香の仕方さえ、うら覚えであ
る。そして心の拠り所としての佛教や寺への期待。
 せめて般若心経がすらすら読めるようになりたいと言う希望を感
じ、ご唱和を通して心経の智慧や仏事の知識、心の寄り所としての
佛教を学ぶことを目的に、般若心経の学習会を月1回開くことにし
た。すでに3年が経ち、80人以上の方が訪れ、毎月20名前後の
方が来てくれるようになった。


「今でも、植木市やってるの?」
 と聞かれることがある。延命寺でお祀りしている三面大黒は、疫
病除けの神様として信仰を集め、青砥疫神(あおとやくじん)とい
う呼び名で古くから親しまれいる。
 延命寺には4月と9月に祭礼がある。護摩を焚くわけだが、4月
は縁日に植木市や演芸舞台が立ち、9月は夜店が参道を埋め、本堂
で幻燈会が行なわれたという。地元だけでなく、近郊の農家や日本
橋、浅草の商家が、講をつくって、先を急いで集まったという。
 境内地は公共事業の名のもとに縮小を余儀なくされ、昭和40年
代以降都市化が進むにつれて、ほとんどの講が消失した。今では細
々と行われる植木市が往年の片鱗を忍ばせ、9月は夜に護摩を焚く
だけ。
 当時を知る人から、かつてのにぎわいをと言われても、誰も何も
やってはくれない。「言うは易く行なうは難し」である。自分が腰
を上げるしかないのだ。9月の祭礼が15日の敬老の日であること
に目をつけた。
 青空市という名称のもとに、フリーマーケットの出店者を集める
ことにした。すべてが手探りだった。
 こうして、一昨年はじめての青空市開催にこぎつけた。当日は台
風一過の余波で天気は必ずしも良好ではなかったが、大勢の来客で
賑わった。さらにこのとき、手伝いに来てもらった友人からここを
会場に、若手アーティストに活動の場を提供してほしいという申し
入れを受けた。
 4月の大祭に演芸小屋が立った経緯から、祭礼に合わせて、開催
できればということで、昨年4月に約50年の歳月を経て“劇場”
が復活。それは、鍵盤ハーモニカオーケストラ「P−ブロッ」コン
サートとして実現した。優れた文化がすぐ身近な所にある素晴らし
さを地域に知ってもらうことが狙いでもあった。
 昨年の青空市では、青空パフォーマーとして、フリーマーケット
会場の一角をつかっての弾き語り、ダンス、アコースティック演奏
を行なった。
 般若心経学習会もそうだが、行事を通して着実に人とのつながり
が広がっていることを実感している。結果的には寺に関心を寄せて
いない者や批判的な意見を持つ者まで寺に呼び寄せることとなる。
寺に来なければ見えないことだってあるはずだ。
 しかし残念なことに意外なほどに寺の檀家が関心を示さないので
ある。檀家のニーズを計りかねているのも事実である。フリーマー
ケットの出店者は、寺の檀家で固めたかったのだが、およそ8割は
延命寺と縁のない方たちだった。寺に求めるものが従来からの法事、
葬儀の執行に墓を守るだけで事足りているのであろうか。
 寺からの通知を開ける人間が決まっていて、家族には話さない。
その理由を探るのも課題だが、続けることで理解を得るしかないと
思っている。


新しい共同体の核へ
 かつて寺小屋は、江戸時代末期には、全国で1万数千、現在の小
学校2万4千校の半数を越えていた。寺小屋は近代化の基礎を築い
たとされている。寺小屋に代表されるように、寺は地域の核だった。
檀家制度は江戸時代に確立するが、現在のような先祖代々や家の墓
(○○家之墓)が建てられるようになったのは、明治時代以降のこ
とである。
 現代を戦国時代に例えて話す者が少なくない。長引く不況。人生
80年。少子高齢時代。そしてIT(情報技術)革命。檀家制度の
根幹を成す家制度の崩壊。大家族から急速な勢いで進む核家族化。
地域からは向こう三軒両隣のお付き合いが消えようとしている。今
までの価値観では物事が通らなくなり、新しい生き方の模索は、新
しい共同体を求めている時代だともいえる。その変化がすさまじい
スピードで進んでいる。
 一方で現代人はストレスに悩まされ、「癒し」というキーワード
が一般に定着した。ハイテクが進み、時代がどんどん変わっていく
のに、人はなぜか、ノスタルジーに安らぎを覚え、古い物に惹かれ
る。しかしただ古い物に惹かれるだけでなく、時代に即した新しい
スプリットが必要なのではないだろうか。
 リバイバルソングは現代風にアレンジされ、往年のクラシックカ
ーを模した車の中身は最新のテクノロジーで武装されている。
 寺もしかり。抹香くさいはずのお線香が「癒し」によって、一躍
脚光を浴びた。線香付きのCDが店頭に並ぶ時代である。大衆が
「安心」を求める時代となった。
 寺はたんに伝統の上に胡座をかくのではなく、時代のニーズを敏
感に取り入れることによって人を寄せる新たな魅力に溢れる。
 佛教の教えでは生きとし生けるものは、すべて六道を輪廻する。
この世もあの世も同じひとつの世界。我々はいまたまたま縁あって、
人間界に生を受けたに過ぎない。それを人に説くべき寺や僧侶が生
者と死者を隔て、死者に少し偏りすぎていたのではないだろうか。
 寺は本来地域交流の場であり、情報の発信基地だった。インター
ネットが世界に向けての共同体なら、逆に地域密着の共同体があっ
てもよい。新しい時代に即した新しい共同体の核に、寺がなる機会
が到来しているといえるはずだ。
 しかし新しい時代への模索ははじまったばかりである。人とのつ
ながりを通して、やがては心のネットワークが広がり、それが
「縁」を結ぶものと信じる。

平成13年2月22日
第10回智山 豊山 新義 青年会合同結集護国寺大会結集資料より

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